「わかっていればできる」?
私は遅刻が多い。一学期中、17回。
クラス担任の教師が言った。「このクラスの遅刻の3分の1はあなた。前代未聞だ。あなたのせいで、この学年の評判が下がっている。そのことがわかっているのか?」
私は言った。「わかっています。今、いろいろやっているところです。」
彼は言った。「人間は、わかっていればできるんだよ。あなたはわかっていない。」
彼は好い人だ。彼は政治・経済の高校教諭で、現代社会という教科を好む、私のような生徒は、彼の授業で退屈することがない。
彼は言った。「皆さん大学受験しますよね?受験は平等だと言われているけど、あれは嘘です。親の年収と、その子どもに受けさせる教育水準、つまり将来年収は比例している。それはつまり、あなたの人生は親の年収によって、ある程度決まっているということです。」
しかも、県内でもそこそこの「進学校」と呼ばれるような、そこそこ偏差値が高い(9割の生徒が大学に進学する)人たちの目の前で、現代社会の授業中に。
私は衝撃を受けた。それは彼が言ったことに対して、ではない。「こんなことを言う人がいるのか。進学校に通っている生徒に。」彼そのものに衝撃を受けた。
(自己責任論を否定する教師は、なかなかいなかったから…)
しかし彼もまた、残念ながら自己責任論者であったようだ。
私と彼で、大きく立場が違うことがある。「人間」や、「理性」についての考えだ。
彼の辞書にはこうある。
「動物」人間ではない動物のこと。言ってもわからないから、鞭で叩く必要がある。
「人間」理性がある動物。言えばわかる。わかれば、行動できる。
まあ、一目見てわかる通り、理性至上主義的である。私が特に疑問を感じるのが、「人間」の辞書にある3文目のこと。
「理解することができる。わかれば行動に移すことができる。」
それはあくまでもロジックの話である。
行動に必要な条件は3つある。
先ず一つは、「何をする必要があるかを考え、判断する能力」(=i)
次に、「必要なことを実行、また必要なら習慣化する技能」(=ii)
そして最後に、「iiiをする注意力。動機付け。集中力。」(=iii)
iは、彼が信仰している理性のことである。彼はそれさえあれば、自動的に何でもできると勘違いしている。
私にもiはある。しかし今は、iiとiiiに難がある。
先ず、最近は睡眠の質が浅い。しかも原因不明。(ii)
iiiについて説明するには、これは複雑であるから、数時間あっても足りないだろう。
この記事の題からしてわかるように、私は「わかればできる」と考えていない。
それが真であるなら社会的格差を説明することができない。彼ら彼女らは、「資本主義」がわかっていないのか?いや、違う。
iiiについては未来記事に記載する予定。