同調

私は他人に合わせてしまう。

読図*1する

山岳部では、顧問教師が「あと、地点Xまで何分かかる?」と言うことがある。それも唐突に。私は、ほぼ全て正解した。理系志望だから、空間認識能力は高い。

他人の様子を伺う

しかし、全問不正解である。顧問が「次の休憩までには着くのか」と言ったり、他部員が私より長い予想を口にしたりすると、予想時間を変えてしまう。

明治から

現代には、「自分の意見を持つべきだ。」という風潮がある。だから日本人が他人に同調することに対しての印象も悪い。しかし、土台無理な話なのだ。こんな国で、こんな文化で、自立することなんて。

ムラ社会

この国には未だに、強い部落共同体意識が残っている。男が婚約者の父親に「娘さんを下さい」と言う*2異常な光景の異常性が認知されていないことが、その何よりの証拠だろう。個人を認識する*3意志が、日本には無い。

マイノリティしか自立できない

だから、日本人の多くは自立できない。そんな状態で自立しろと言うのは、非現実的である。だから、私のような、所謂「気違い」だの「非国民」だのと言われる人間しか、日本という『ムラ』から弾き出された者しか、自立することはできない。


私でさえ同調するのだ。

劣等感を視る

私には、「他人に同調するのは良くないことだ」という認識がある。そのせいで他人に同調する自分に対して、劣等感を抱いていた。そんな気がする。だから先ず、その劣等感をメタ的に認識する。

『自立』は可能なのか?

自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。


これがGoogleの回答。しかし、脳は単なるハードウェアに過ぎない。感覚器官から入力された刺激に従って、出力するだけ。そのハードウェアの発達でさえ、刺激の影響を大きく受ける。


つまり、「私」を形作っているのは「世界」である。それなら、「完全な自立」は存在しない。それどころか、自由意思が存在するかどうかわからない。

環境次第

「和を以て貴しとなす」という言葉がありような日本文化の中で生活すれば、自然に同調するようになる。我を主張しない者は集団に埋没して評価されない西洋では、「自立」するようになる。


イスラム教圏に生まれた子どもと同じだ。彼ら彼女らがイスラム教を信仰せざるを得ないように、日本人もまた、他人に同調せざるを得ない。


「自立しろ!同調は悪だ!」と言う考えには、こうした地理的な要素を全く考慮していないものが多い。

同調って?

確かに、同調圧力の力は強い。いじめる人間がいじめられる人間以下にならないように、同調圧力は加害を生む。


しかし、日本人が「他人に同調しろ」という同調圧力を抱えて生きるのは、不可抗力である。日本人に責任は無い。日本文化、つまり過去の日本人に原因があるのだ。


また、西洋の場合も然り。西洋には「identityを主張しろ」という同調圧力がある。それだけの話。

自信が無いから

他人に同調するのかもしれない。意思決定や評価の基準を他人に求めなければ、同調する必要は無い。再考する必要があるのは寧ろ、低下した自己肯定感や自己効力感の方である。

整理できて良かった

*1:地形図を見て現在位置を把握し、登山道を読み取る行為

*2:先ず、母親はどこ行った。ああ、そうだ。この国では、女性に人権なんか無いのだ。次に、「娘さん」は父親の所有物なのだろうか?

*3:私は「尊重する」という言葉が嫌いだ。人権を「特権階級か権威のみが与えられるもの」だと勘違いしている人間が考えた言葉に思えてならないからだ。