他人が自分に期待する役割
私はずっと悩んでいた
母は、私を幼児のように扱う。もう高校二年生なのに。そのことについて、長い間考えていた。
母にとって私は
恐らく、十歳にも満たない子どもと同じだ。彼女にとって私は、洗濯も洗濯物を干すことも、炊事も自分で食事することもできないガキだ。
なぜ
子育てと、社会が原因だろう。私は長男、つまり第一子だ。夫は家事も子育てもしないモラハラ野郎。よく、十年以上耐えたと思う。
結果
彼女は過保護になった。彼女は息子の靴紐を結び、手を取り、どこへでも行った。彼女は、心的ストレスによって、やり過ぎた。
その経験が相当、彼女に影響を与えたのだと考える。彼女にとっての息子は、高校生ではない。彼女の時間は止まっている。彼女にとっての息子は、「手のかかる幼児」だ。
他者が自分に期待する役割を知る*5
こう書くとわかり難いが、端的に言えば『その人が自分をどう見ているのかを把握する』ということだ。
自分にとって自分は自分でしかない。しかし他人にとっての自分は、必ずしも等身大の自分とは限らない。彼は崇められる救世主であるかもしれないし、憎むべき加害者や強者であるかもしれない。*6
そうすると楽になる
少なくとも私は楽になった。理由無く苛立つことが減った。彼女が認識しているのは、今の自分ではなく幼児であるとわかれば、何と言われても受け流すことができる。
私は「子ども扱い」されているのではないとわかったからだ。*7