他人が自分に期待する役割

私はずっと悩んでいた

母は、私を幼児のように扱う。もう高校二年生なのに。そのことについて、長い間考えていた。

母にとって私は

恐らく、十歳にも満たない子どもと同じだ。彼女にとって私は、洗濯も洗濯物を干すことも、炊事も自分で食事することもできないガキだ。

なぜ

子育てと、社会が原因だろう。私は長男、つまり第一子だ。夫は家事も子育てもしないモラハラ野郎。よく、十年以上耐えたと思う。

その時彼女は

母は名誉男性気味だった。*1男尊女卑、「らしさ」の強要まっしぐらの宗教団体、倫理なんたらに所属していたほどだ。*2

『すべて私がやらなければならない』

本当に、こんな心境だったと考えている。名誉男性だった彼女にとって、育児は母親、つまり自分自身だけの責任。*3


また、彼女は所謂「毒親」に苦しめられた人でもあった。彼女は当事者として、親が子に与える影響を知りすぎていた。*4社会と個人、2つの責任が彼女を圧し潰した。

結果

彼女は過保護になった。彼女は息子の靴紐を結び、手を取り、どこへでも行った。彼女は、心的ストレスによって、やり過ぎた。


その経験が相当、彼女に影響を与えたのだと考える。彼女にとっての息子は、高校生ではない。彼女の時間は止まっている。彼女にとっての息子は、「手のかかる幼児」だ。

他者が自分に期待する役割を知る*5

こう書くとわかり難いが、端的に言えば『その人が自分をどう見ているのかを把握する』ということだ。


自分にとって自分は自分でしかない。しかし他人にとっての自分は、必ずしも等身大の自分とは限らない。彼は崇められる救世主であるかもしれないし、憎むべき加害者や強者であるかもしれない。*6

そうすると楽になる

少なくとも私は楽になった。理由無く苛立つことが減った。彼女が認識しているのは、今の自分ではなく幼児であるとわかれば、何と言われても受け流すことができる。


私は「子ども扱い」されているのではないとわかったからだ。*7

*1:今はフェミニストである。

*2:モラ夫の家が入信していたためである。信者はもれなく、「政教分離」などお構い無しに、自民党に投票することになっている。

*3:父親どこ行った

*4:その毒親もまた社会の被害者であるのだが、当時の彼女は、そんなことを知る由もなかった。

*5:私は、家族を「最も近い他人」と定義している。

*6:むしろ、「自分と同じ、一人の人間」として他者と接している人の方が少ないだろう。こんな文化に、平等などない。

*7:彼女の中では、私は今より子どもなのだ。