やがて君になる

1、2、3巻も買ってしまった…お金に余裕が無いのに…いい話だからいっか*1

初連載、初単行本

驚いた。既刊も読みたいと思ったら、まさかの初単行本だった。第1巻の後書きでそれを知った。伏線も心情描写も細かく、すべてが計算されたような、しかも興味深い物語。*2


鳰の被り物をしている*3のが、たつき監督*4に似ていて嬉しい。*5

第1巻

紅茶とコーヒー

これも細かい。侑*6が七海*7と佐伯*8に紅茶とコーヒーを淹れる場面だ。次に彼女が生徒会室に来る時には、七海がお茶を淹れる。これは、二人が少しずつ親しくなっていることを描写している。


そして第7巻では、侑は他人行儀に紅茶とコーヒーを淹れる。彼女が七海に告白して、振られたと思っている時のことだ。まるで、それまでの関係が白紙に戻ったかのような印象を受ける。

朱里*9と暦*10との距離

漫画では、単純に机の距離が離れていることによって、恋愛感情を持つ二人とそれを知らない一人の距離を表現していた。アニメでは、二人が波にさらわれて侑だけ取り残されるという、動的な描写をしていた。

踏み切り

これは、やが君を語る上で絶対に外せない要素だ。物語において重要な場面で、踏み切りは登場する。他にも「アバン」近くの紫陽花や信号機などのメタファがあるが、踏み切りは特に重要なものだろう。


第1巻では、ギリギリ間に合ったような感じ?二人が歪な交際に踏み出したことを示唆しているのだろうか?

アニメには無い場面も

アニメの原作には、時間などの都合上割愛されたところがある。そう頭ではわかっていても、やはり嬉しい。原作の内容がほぼ全てアニメ化されたのは『デュラララ!』くらいだろう。*11

そして彼女は茨の道へ

小糸侑は、七海に「好きです」と言ったら終わる*12関係を始める。好きな人に好きと言えない、過酷なものだと知らずに。


これもなんか、なんだかなあー。恋を知る前の侑と自立する前の七海が出会わなければ、この物語は始まることすらなかった。しかし、この関係は侑が恋を知れば知るほど、七海が自立するほど脆く、危うくなる。

*1:ネタバレ注意

*2:『形にならないネタだしテキストの山』があるらしい。←第7?巻の後書きより引用。

*3:後書きで、作者が

*4:irodoriを立ち上げた人の一人。

*5:彼はペンギンを被っていた。

*6:敬称略

*7:敬称略

*8:敬称略

*9:敬称略

*10:敬称略

*11:恐らく、あの物語は複雑過ぎて、殆んどアニメ化しないと内容がよくわからない。それでもよく分からなかったから、私は原作を全巻買った。←やが君が初めてというのは勘違いだった。アニメから原作を知ってそれを買ったのは、恐らくデュラララ!が初めて。次に、『境界彼方』。アニメは、原作の初期設定だけを借りて作ったようなもの。まあ京アニだし、良かったから良いけど。

*12:少なくとも彼女はそう思っていた

自殺念慮チェッカー

経験に基づくものだから、客観性を欠く可能性有り。閲覧注意。[:contents]

死にそう?

そういえば、まだアレを記事にしていなかったな~と思って、記事にした。

質問

  • 「誰かのために死にたい」と思うことがある*1
  • VOCALOIDの曲をよく聴く*2

やる気があって覚えていれば更新

面倒だからここでやめる。一つでも当てはまった人は危ないかも

*1:誰かのために、暴漢と相討ちになって死んだ白昼夢を見た。「生産性がないから、公に奉仕しなきゃ…でも、自分には何もない。私が持っているのは、この命くらいだから…」というような感じだったっけ?

*2:ボカロの曲には、希死念慮を歌ったものも多い。ボカロは好きだけど、それはつまり…

偶然気付いた

私は身体性もまた、考察すべき重要な役割を担っていると考えている。だから、私はしばしば私の身体についての感覚を確認する。それは授業中だった。偶然だった。

『腹を下げる』という感覚

まさにそういう感じがした。恐らく、正確には「横隔膜を戻す」だろう。

緊張状態と横隔膜*1

筋肉が緊張している時、人間は横隔膜が上がっている。肩が強ばって上がるのと似たことだろう。筋肉が収縮し、引き上げられる。

横隔膜が緊張している時の呼吸*2

それは不自由に違いない。肺が広がる余剰分が小さいからだ。所謂、腹式呼吸ができていない状態だ。

浅い呼吸と疲労

鼻から息を吸う呼吸より口から息を吸う呼吸の方が、前頭葉の消耗が激しい。つまり口から息を吸う人は、集中力は早く切れる。


呼吸の深さとの相関を知らないが、恐らく腹式呼吸よりは酸素と二酸化炭素の交換効率が悪いから、消耗が激しいことは確かだろう。また、呼吸が浅い人は恐らく、回復力も低い。

緊張して上がった横隔膜を戻す

そうすると、肺が広がる余裕が確保されて呼吸が深くなる。*3副交感神経が優位になり、落ち着く。集中力及びIQが高まる。

武道の伝承には、必ず科学的根拠がある

私は合気道で、「腹を出す」という表現でこれを教わった。確かに、腹筋は緊張していたら横隔膜は下がらない。また、合気道にも丹田という考え方がある。これは呼吸を深くする他に、腸腰筋*4と関わりがある。

*1:ここからは、客観的な根拠無しに、私の経験のみに基づいているから、閲覧注意。

*2:細胞による呼吸ではなく、肺による呼吸。

*3:意外にも、肺はかなり大きくなる。上は鎖骨で下は肋骨を覆うくらい、左右はほぼ脇腹まで広がる。

*4:全身の中心となる筋肉

沖縄の土

骨と共に埋もれた
おびただしい数の、不発弾
それは今も土の下で
静かに燻*1っている


*2

*1:くすぶ

*2:只の詩です。山之口貘さんの詩を現代文の授業で知ったことがきっかけで作った。戦争の惨禍と、安倍政権によって迫り来る戦争の危機を表現できていれば幸いです。

自己精神分析

私はなぜ愚痴を漏らした?

昨日の記事

『男二人に女一人の物語って…』*1の後半では、私が愚痴を漏らした。「母に…」と。この記事では、それを考察し、メタ的な分析をする。

私が彼女の話を厭がる理由

それは恐らく、嫉妬とか羨望とかいう感情の所為だろう。*2なぜ嫉妬するのか?私にはないものを、彼女が持っているからだ。

緩いつながりへの切望

そもそも、私が彼女のように普通に働く*3ことができて、緩いつながりを持っているなら、自殺しそうになることもなかっただろう。だからこそ、ごはんとか下らない話をすることができる、上下関係などない心地好い関係を欲しているのかもしれない。

また、

だから自殺予防の考え方の誤りについても、あそこまで長い記事でツッコんだのかもしれない。

*1:引用が面倒なのでリンクを貼らない

*2:うつ病に近い状態だった頃には、存在さえ忘れていた、或いは抑圧していたものだから、嬉しい。

*3:「自分は自分に合った稼ぎ方をすればいい」と思ってもいるが、「普通に働くことができない人間には、生産性が無い」という不寛容な社会のミームに、私も汚染されている。だから劣等感は拭えない。そもそも普通って何だ、とか生産性が無いからどうした、とか色々突っ込みどころがあるのだが、やはり

そりゃ驚くよ…

ある先生に、背後からいきなり両肩を掴まれた。私は声こそ上げなかったが、かなりびっくりした。「あ、ごめん驚かせちゃった?」そりゃ驚くよ…


因みにこの先生は私に、『ある世捨て人の物語』などの本を貸してくれたことがある。ナイトには共感したし、彼の考え方は興味深かった。

Follower

それが大事

リーダーってそんなに偉いの?

https://www.ted.com/talks/derek_sivers_how_to_start_a_movement/transcript?language=ja

これは、Derek SiversによるTED TALKsである。非常に興味深いので、是非見てみてほしい。


ここで彼は、「リーダーが過大評価されている」という教訓を呈示する。私もずっとモヤモヤしていた事柄だったから、姿の見えない違和感に名前が付いたようで、少しすっきりした。

約束のネバーランドに見るリーダー観

少年ジャンプ?に連載されている『約束のネバーランド』という漫画がある。これはとても分かりやすく、対照的な二人のリーダーを示す。

近代的価値観通りの善きリーダー、ノーマン

近代的な価値観に従えば、「絶対的で優秀、計算高く部下を随える」者が評価される。実際、彼はウィリアム・ミネルヴァとして宗教的な人気を博しているし、自らをミネルヴァと名乗ったことも、大集団を統率するための計算だろう。


近代的なリーダー観は、キリスト教を信仰していた西洋から来るためか、どうしても絶対的なリーダー>>>それに続く従者というような構図になってしまう。対等な関係ではなく、「神」としてのリーダーに対して「信者」としての従者、という風に。


これは、厳しい時代には効果的な手法だ。人々を煽動し易くなるため、リーダーが優秀であるほど、そのポジティブな効果を発揮する。しかしこれには限界がある。絶対的な後継者を探すのは大変だし、全体主義は多様性を蝕む。ほぼ全員が同じ方向を向いた社会は脆い。何かあれば、たちどころに崩れてゆく。

新しい時代のリーダー、エマ

私は彼女を評価している。いや、私は彼女を評価するに足る人間ではない。絶対的なリーダーに偏るのに、名誉男性的な立場をとっていたことがあるために絶対的になりきることもできない、半端者だ。しかし彼女は違う。現代に至らなければその概念さえ生まれなかったような、全く新しい形のリーダーなのである。


ここで、Derek SiversのTED TALKsに戻る。彼女は、あの男と同じなのだ。野原で一人踊る、孤立していたリーダーと同じなのだ。

Followerが追いたくなるリーダー*1

新しい時代には、更に大きな危機がある。絶対的なリーダーによる危機である。しかも、その危険性は認知されないままに、何となく「他に誰も適役がいないから」と上手く勘違いされてリーダーをやっている、背後 も読めない馬鹿がいる。


そういう休眠状態の社会に対して旗を揚げ、現状をを問い直すことは、絶対的なリーダーにはできない。その人は、集団をある種の催眠状態に陥れ、全員をその人の思考で染め上げてしまう。だから、柔軟な発想はそこからは生まれない。

今の時代での「強さ」とは何か

名将が騎馬隊を従えていた時代には、絶対的なリーダーが強かった。或いは、形だけの民主主義が敷かれた現代日本でも、安倍首相*2は宗教的な支持を得ている。しかし、すぐそこにある危機―例えば食肉*3によるパンデミック、地球を覆う5G*4、気象兵器による更なる気象のカオス*5、迫り来る氷河期*6、遺伝子ドライブ*7―ざっと挙げるだけで、これほどある。

現代の危機

それは具体的な原因*8があり、しかもグローバルな文化に根付いている*9ことがある。ミレニアムとか、そういう曖昧な都市伝説じみたものとは性質が違う。「2000年になっても、結局世界は終わらなかったね」という笑い話で済むものではないのだ。


私が例に挙げた5つはすべて、人類が種として生存することができなくなる可能性があるものだ。その危機を乗り越える気があるなら、新しいリーダーを育成し、Followerについてもまた啓蒙する必要がある。


これからの時代は、「絶対的なリーダーについて行けば何とかなる」甘い時代にはならない。一人一人が社会運動の起点となるリーダーであり、また同時に一人一人に追従して社会運動を起こすfollowerでもあることが、人類が生き残るたった一つの道であると、私は考えている。


世界統一政府、つまりNWOは「絶対的なリーダーが必要だ」という固定観念から抜け出していない。ほどほどに平等であり、またいかなる危機も乗り越えることができる、自立した個人が緩いつながりを拡げていく社会という視点が無い。だから恐らく、社会は多様性を失って倒れるだろう。


TVアニメ「INGRESS」は、様々な視点から考察しても、明らかにNWO側の人がつくったものだ。元Google社員で、個人情報を盗んで逮捕された社長が営むNiantic, Inc.が開発したゲームが原作、三角形←pyramid を代表的なモチーフとするAlt-J←satanic style が主題歌、オープニングアニメーションの始めにあからさまに示される三人の左目←providence eye.left eye. …根拠はありすぎる。


そんな都市伝説がつくったアニメで、ブラント=「自らが信じる正義を貫こうとする者」←グノーシス派が、異なる正義と衝突して敗れるというのは、皮肉というか、印象に残った。*10

*1:Follower は、何と訳すのも違う気がしたので、そのまま。

*2:絶対的なリーダー。彼専属のブレインがいるとしか思えない。国会をしばしば見る者にとって、少なくとも彼のツイートを彼が書いたとは思えない。国会であれほどしどろもどろなのに、Twitterで文章が上手くなることがあるのだろうか?

*3:家畜に打たれている抗生物質によって強力な耐性がついた、スーパー耐性菌

*4:全生物に、回復不可能かつ壊滅的な被曝

*5:大気に放出されるエアロゲルによる氷河期の深刻化、HAARPNASAの雲を造る機械

*6:外国政府は巨大なシェルタを建て始めている。悠長にしているのか、何もせず破滅を待っているのは日本だけ。

*7:生物種をまるごと消し去ることができる。食物連鎖を破壊、そして環境を破壊する。

*8:氷河期なら、太陽活動が決定的に弱くなること。

*9:5Gは、人々が自分たちの生死に無関心だから、恐らく普及してしまう。食肉文化もまた、世界的に見れば多少良くなってはいるらしいが、根本的な解決をしなければパンデミックは避けられないだろう。気象兵器は、国連に気象兵器禁止条約があり、国会で議論される内容であるにもかかわらず、陰謀論だと一蹴する人がいるからだ。遺伝子ドライブも、危機感の欠如や「害虫を絶滅させればいい」というようなデカルト的考え方から、400年経った今でも未だに抜け出せない人がいるからだ。

*10:正義は人の数だけある。それは即ち「正」しい「義」=条理であるから、正しさの定義によって、どうとでも変わる。特に現代では、『正義』対『悪』ではなく『正義』対『正義』という構造が随所に見られる。紛争も、米国やロシアの介入を抜きにして考えるなら、各民族の宗教や文化つまり『正義』対他の民族らの『正義』である。右翼と左翼で弁証法によって二極化が引き起こされているこの状態もまた、政治的イデオロギーという各人の『正義』のぶつかり合いである。だから議論が複雑になる。何が正義で弁証法何が悪か、その定義から問い直す必要に、今、迫られているのだ。ここまで読んだ人は少ないだろうけど、あなたに訊きます。あなたにとっての「正義」とは何ですか?