遅刻する理由 アドラー的考察

先ず初めに。アドラーは目的論を主張した。端的に言うと、「夜更かししたから遅刻した」ではなく、「遅刻するために夜更かしした」と考える。(勿論、無意識下において。)



次に、規範と反動形成について。「シャワーを浴びる」行為は煩わしい。生物的に不要だから。しかし、人間は理由もわからずシャワーを浴びる。多くの人間が、合理的理由を持たないまま、なぜか、「そうしなければならない」という思いに駆られてすること。それがシャワー、である。


裁判官に、審議の前にシャワーを浴びさせた。その結果、彼の判決は甘くなった。研究者はこれを、「シャワーを浴びると寛容になる」と分析した。本当に?自分の考えは違う。


脳はバランスを取りたがる。(幸運→不幸→幸運と考えるのも、そのため。幸せになったとき、「この状態がずっと続く」と思うと、人間は努力をやめる。また不幸を感じたとき、「どうせ、この不幸は死ぬまで終らない」と思うと、やはり努力をやめる。その結果、死ぬ。幸福なら不幸の準備をし、不幸なら幸せに向かって急ぐ。この人間は、一生幸せにならない。まあ、生物としては合理的である。)

登校することを、自分は規範であると捉えていた。だからその秩序に疲弊したとき、自分は遅刻することによって、精神のバランスを保とうとする。(遅刻は登校によって抑圧されたものが、歪み、膨張した形)

「夜更かししたから遅刻した」のではない。これらすべてのことが無意識下において行われ、「遅刻するために夜更かしした」のである。