悔いなき選択を

私は今、岐路に立っている。


私は県立高校の二年生である。つまり、進路決定の時期だ。


おおよそは既に決まっていた。私はIQが高いため(?)記憶力が、あまり無い。興味がないことを覚えるのは、ほぼ無理。


だから、大量に頭に無駄な知識を詰め込まなければならない文系は無理だろうと考えた。


(理系の方がまだ、興味がある。数学的な考え方は有用だ。)


つまり、私には、私の認識し得る限りにおいて、3つのみちがある。


(i)人生において大事なものを捨て、数学廃人になる。

(ii)数学を学習しつつ、PNSEの状態を保つ。

(iii)数学での進学を諦める


先ず、上記の理由により、iiiは不可能だろう。(本気で無駄な知識を詰め込もうとすれば、文字通り死ぬ可能性さえある。)


また、iをしても、恐らく自分は生きられない。


(奇跡的にPNSEに入ったおかげで、自殺することなく、なんとか今も生きている。)


という訳で、現状、私に残されたみちは、実質、一つしかない。


しかしそれは、茨の道。


数学の抽象度は日毎に増す。だから恐らく、「授業時間意外に一切数学のことを考えない」で大学を受験して合格する可能性は低い。


かといって私は、「数学を」好んでいる訳ではない。


数学は古文より好きだが、私が興味を持っているのは、数学や数学的思考そのものではない。どちらかと言うと、数学を用いたテクノロジー、具体的に言えばAI(弱いAIと強いAI)を利用する脳科学研究(認知の研究、偏見、バイアスなど)に興味がある。


更に具体的に言えば、その研究によって、自殺志願者と「考え過ぎることもある」と言う無知な人間、フェミニストミソジニー(多数派。主に右翼。よき市民。)、性的マイノリティとセクシスト、障害者や老人や子ども(=生産性的マイノリティ←次記事参照)と現役世代(特に強者男性)を繋ぎたい。


この国、いや恐らくこの世界には今、大きな、深いキャズムがある。それは溝と言っても、断絶、分断と言ってもいい。とにかく、人々が強化されたバイアスによって孤立させられている。


その溝を埋めたい。人と人を結ぶメディアとなるデバイスや理論を開発したい。


最も端的に言えば、強い偏見によって歪んでいる認識を、もと(自然な状態)に戻したい。


ごく自然なことがわからない、見えなくなっている人があまりにも多い、気がする。残念ながらそれは、たぶん日本でも世界でも同じ。


なんというか、もう少し個人が団結すれば、個人の独立性が回復して、緩い繋がりが再び結ばれれば、世界に山積する様々な問題は、殆んど解決すると考えている。


(あまりに抽象的だから、その理由を考えてみて。)


という訳で、数学(→AI研究)は必修。進路云々ではなく、私のキャリアにおいて。(それも数学Ⅲ…)


だから恐らく、iiになるだろう。数学を学習しつつ、且つPNSEを維持する。


これは難しいが、今、その方法を模索中。