新しい責任の認識 自己責任論からの脱却

時間が無いから、簡潔に書く。


絶対的責任観を捨てる。それに気づく。相対的責任観を理解する。たったこれだけ。


「若者が貧しいのは、若者のせいだ。」本当に?自己責任論は凄い。見事に人の眼前を曇らせる。


結論から言うと、若者が貧しいのは、若者のせいではない。日本人が貧しくなったから。親の年収が低下→親がその子どもに受けさせる教育水準が低下→子どもの学歴が低下→子どもの年収が低下。


絶対的に、「若者に責任がある」という主張が謝っているように、絶対的な責任観は危険性を孕む。「自己責任」という名の、無責任な集団の言い訳を合理化してしまう。


本来、「責任」とはどういうものか?相互に発生するものだ。Aがバトンを渡し、Bが受け取った。このとき、Aには「バトンを渡した」、Bには「バトンを受け取った」責任がある。これほど単純化できる話ではないが、責任は相対的に発生する。


そもそも、「責任」とは、複数の人間の間に発生するものでもある。「すべては被害者の責任」など、土台無理な話なのだ。


万人は、万人に対して責任を負い、万人によって責任を保証される。


更に、この責任観からのみ、緩いつながりは生まれる。自己責任論が布教された目的には、人々の団結の分断もあったように思う。「周りに迷惑をかけるな、かけられるな」と言われたら、人と関わるのは疲れる。


(この相対的責任観は、緩いつながりを肯定する。)