卑屈の辞典 個性

前近代、個性は既にそこに「ある」ものであった。しかし、現代ではわざわざ「ある」と主張して初めて、確認されるものになってしまった。


主張しないと確認できないような、希薄な個性しか持っていないと考えている者ほど、盛んに主張する。それによって客観性を高めようとするからだ。


今日の「自己紹介」に、名前と趣味以外の無駄なもの(好きなこと、だの嫌いなことだの…)が義務付けられているのは、そのためである。


但し、「嫌いなことは自己紹介です。無意味なことは煩雑だから。好きなことは人間観察です。非合理で非論理的で、その動機が不可解だから。」と言うことは許されない。あくまで、料理だの登山だの、差し障りのない、退屈な内容を言わなければならない。


identity 同一性 とはよく言ったものだ。そういう見方もある。


私の自己紹介をしよう。「私は自分がどんな人間なのかを、完全に理解しているとは言えないでしょう。貴方が、私がどんな人間か、考えてみて下さい。それが、貴方にとっての私。私のどの要素を抽出するかは、貴方の無意識に依る。私の同一性を、貴方が考えたとき、貴方は、貴方自身の同一性をも、少しだけ知ることができる。」


面倒臭そうな奴でしょう?たぶん、実際に面倒な奴です。