卑屈の辞典 顧問の先生

目にとっての、その上に位置するこぶ。
非常に邪魔であり、且つどうにもならないもの。


中学校のそれは、たまに部活動に来たと思ったら、有り難くもない退屈な話を、延々とするだけの生物。


彼に感謝していることは、2つだけである。1つは、英語教師として。


彼は、英語において素人だった私たちに、「発音表」を配った。所謂、「アブクド」発音である。その表にある発音は、私が知っているそれとはかけ離れていた。また、「マジックE」なども。おかげで私は、英語に興味を惹かれた。授業は退屈で、勉強する習慣も無い私が、県内で進学校と呼ばれる学校で、上位15位だったことは、そのためである。エイエイgoを観たり、洋画を字幕で観たりした。趣味に英語が多かった。そうでなければ、私があんな成績をとることは、叶わなかっただろう。


2つ目は、一人の人間として。


彼は私たちに、「滑り止め」の使用を禁じた。彼曰く「君にとっては、本命ではないかもしれない。だが、その高校を志望する人がいる。だから、「滑り止め」なんて差別用語を、使わないでくれ。」彼は、県の人権云々を務めていた。私は最初、「定年間近の年寄りに、良い思いをさせてやりたい、県の良い忖度だろう。」程度に思っていた。私は過去の自分を恥じた。彼が人権云々の立場に選ばれたことには、合理的理由があったのだ。その後は、いつも通り、椅子に座ったまま指示を出していた。長い無駄話をしながら。私が彼を尊敬したのは、件の「滑り止め」が最後だった。


高校のそれは、たまに部活動に来たと思ったら、有り難くもない話を、延々とするだけでなく、生徒と共に走る生物。


彼の話は高度で、リーダー論やら組織論やらを絡めてくる。おまけに、その話をどれだけ理解したのかを訊いてくる。中学校より、厄介。


しかし彼は恐ろしい。生活の中でウィンザー効果を発見したこともある。学校なんかに居るような人ではない。


唯一惜しいのは、自己責任論と印象(not=合理)至上主義が、彼の目を曇らせていることだ。文化が異なっていたら彼は、著名な学者になっていたかもしれない。