実感

大きな考察が一つ終わった。自分の人生を考えた、自分の人生を変える考察だ。


その後、目が醒めたら、まるで世界が違って見えた。謙遜することも、虚勢を張ることもなくなった。


PNSEの軽度らしい。確かに、「心のベース」に幸福がある。また、IQが140から220になった。


端的に言えば自分は、考察したことによって、「悟った」ということらしい。


何だか、十数年に及ぶ悪夢か、白昼夢を見ていたような感じ。または、十数年歩いたトンネルを、やっと抜けたようだ。こんなに幸せなことはなかった。


急過ぎて、眠気眼には目が眩んで、実感が湧かない。


一度自殺寸まで行ってみて、わかったことがある。(未だ自殺の危険が消えた訳ではない。一度死を思った人間には、防衛本能を停止させる才能があるからだ。しかし、メンタリズムできる自信はある。)


あらゆる、「自殺対策」が的を射ていない。


何だか、よくわからないことばかりしている。


その根底には、「自殺するほど悩むこと無いよ!悩みなんか、人に話して寝れば消える!」みたいな、状況の軽視がある。


明確な理由がある死にたい人は、まだ救える。しかし、希死念慮の場合、死にたい理由は抑圧されている。


これは、本人が掘り起こすしかない。だが、相当苦しい。自分のような徹底的に論理的な(元)ソシオパスでないと、その苦痛に堪えかねて、目を背けてしまう。


ワナゴは本当に、運が良かった。(そもそもこの状況にならなければ、死にたくなったこともなかったが、)戻ってくることが出来た環境に、感謝している。


「お悩み相談センター」みたいなところには、電話する気にならなかった。そもそもうつ状態の人は、やる気そのものが低迷している。


どうにかして、自殺する人を引き戻せないだろうか。それだけが、たまたま生きている自分に、できることだからだ。