平等なんてありゃしない

体育の授業。準備体操。馬跳び。クラスメートの痩せている方が、太っている方の尻を叩く。叩きながら跳ぶ。


残念ながら、これは「いじめ」ではない。その軽度なものだ。流石は「進学校」。生徒は人間の屑ばかり。モラルなんてありゃしない。


所謂、「スクールカースト」とかいうやつだと思う。「思う」というのは、私から見れば二人とも、揃いも揃って「よき市民」で、安倍の愚行を何も知らないから、似たようなものに感じられるからだ。


しかし、何か「基準」があるらしく、それを満たした者がカーストの上位に位置するようだ。無責任な醜い言葉で他人を罵る、「イキリ」の技術が高い屑、というのが基準かもしれない。


この国には、明治維新で平等が破壊されてからずっと、「上」か「下」しかなくなってしまったように思う。上司か部下か、男か女か、親か子か、現役世代か老人か、社会的強者か弱者か。


しかも、本来なら「会社」という組織は、独立した個人が利益を得るための場所であって、儒教ごっこをする場ではない。にもかかわらず、アイデンティティーがない男が、それを保証するために、会社という場所を乱用している。


(定年退職した男が、彼の居場所をなくすのも、それを証明している。彼には、「上司である」こと以外、何もないのだ。少なくとも、彼の周りの人は、そう考えているということだ。)


アメリカの映画で、終業後すぐに上司と部下がフランクな口調で話すことや、海外の人は「社内恋愛はあり得ない」ことは、日本との違いを表す。彼ら彼女らにとって、「会社」は、あくまで利益を得るための場所であって、パーソナル関係を築くような場所ではないのだ。


この国にも平等があったなら、どんなにか良かっただろう。町行く人と議論をたたかわせ、緩くつながり、犯罪も孤立もない。


あいにく、それは崩壊したので、私たちに残された選択肢は2つしかない。(平等を求める場合。)1、この国の平等を再構築する。2、平等がある地域に移住する。


安倍が独裁し続けるだろうから、1はかなり厳しいだろう。となると、2しかない。


この国は、来るべき小氷河期に対して何も対策していない。「小」氷河期と言っても、百年続くという予測もある。


地上での農業は困難になるらしい。実際に、海外の国は、シェルターをつくっているところもある。


日本の核シェルター普及率は0.02%と言われている。小さなもので10000000円以上かかるからだ。


貧しいこの国で、そんな経済的余裕がある人は限られている。小氷河期の到来と共に、大量の死者が出るだろう。


もうこの機会に、海外に移住してみてはどうだろう。アメリカとかサウジアラビアとか、下手な国に移住しなければ、少なくとも日本よりは、明るい未来があるだろう。