ワナゴの辞典 いじめ

ホモソーシャル社会において、加害者がある一定の地位を維持するために行われている儀式。


なぜ、集団で個人を攻撃するというつまらないことが地位の維持に役立つのかといえば、いじめというのはイキリ文化であると言えるからだろう。


(いじめと同じように、イキリには加害者意識が皆無であるし、「俺は、このいじめられている奴より強い/彼は、いじめられている子より強い」という貧しい精神(=アイデンティティーが「いじめっ子」だけ)が、その何よりの証拠である。)


「ちょっと~ヤバいって~それはさすがにやり過ぎっしょ~受けるんですけどぉ~」観衆がそう言って楽しむためのもの、それがいじめである。「現代の魔女狩り」と言ってもいい。


そのため、いじめのきっかけなど、いじめる側にとってはどうでもいいことである。「そんなのはこじつけではないか」と思えるような、「いじめのきっかけ」も数多く存在する。


こんなディストピアで、「努力」など無意味。「いじめ」は殆んど避けられないものだ。いじめは、無理な組織体系が排出するゴミである。


日本とは違って、名実共に先進国だったアメリカでは、いじめられた子どもが「先生、あいつが僕をいじめるんだ。どこかおかしいかもしれないから、何とかしてやってよ。」と言う。


いじめられる側(被害者)ではなく、「いじめる(加害する)側」に問題があると考えられているのだ。


(性犯罪が異常に多く、その上、自己責任論を根拠として(根拠にならないが、)女性に「自衛」が叫ばれる=「加害者(性犯罪者)も悪いけど、被害者(性被害者)にも非がある」という思想が根強い日本。アメリカがうらやましい。


ところで、「加害の殆んど※において、加害者が100%悪い」ことが理解できない人=「あの伊藤詩織って人、胸元めっちゃあいてたよな。あれじゃ、誘ってると思われてもしょうがないだろ。」とセカンドレイプする人は、この記事を読まない方が良い。


何も理解できない上に、不愉快になるだけだろう。自身の差別意識メタ認知してから出直すことをオススメする。


※その唯一の例外とは、加害者が主張するものである。被害者が長く加害者によって苦しめられ続けた結果の、自殺以外の、もう1つの自己決定権として、反撃は認められよう。)