『…らしいです。知らんけどw』

イキリ文化を考える。結論から先に言うと、それは「責任を透明化するパラダイム」である。


その根拠の一つは、主にTwitterJapanに棲息し、「死んだら負け」だの、「在日は国に帰れ」だのとほざく、あの「俺たちは多数派だ。少数のことなど、知ったことではない。」とでも言うような、恐るべき無責任、「自分は関係無い」と勘違いしているあの態度。


また、ある海外の心理学者が名付けた「かのような人格」という人たちがいる。単刀直入に言えば、それは日本人のことだ。


「体制が維持されていると認識している内は、非常に大人しい、無害な人たち。いつしか精神の貧しさを自覚し、自ら破綻する。」らしい。


私は運良く、メタ認知したことによって、破綻を免れた。しかし、殆んどの人は(自民党はまだましだ、安倍「さん」は良くやっている※と勘違いしているが、)体制が崩壊している(事実上、三権分立が形骸化し、安倍の絶対王政になっている)ことに気付いた瞬間、彼らは破綻する。


(※私は直接会って、一人一人徹底的に議論して説き伏せたい。一体あの、漢字も読めない、実際は大学を卒業してすらいない、「イエスかノーでお答えください」という日本語の意味すら理解することができない馬鹿が、「何を」、「どうやって」、「うまくやっている」のか?是非とも聞かせて欲しい。)


根拠はまだある。この記事の題にもあるように、(それが、政府(内閣府の安倍直属の犬)が管理する、右翼を蔓延させるためだけの装置であることも知らずに)2ちゃんねるを見る人はよく「知らんけどw」と言う。


これは、男尊女卑によって高下駄を履いて気づくことすらない彼らが、無意識に「責任(加速する男尊女卑によって、肥大化した絶対的権力。しかしおじさんごときに、そんな大それたものは背負えない。だから、責任を誤魔化そうと、見ないで隠してしまおうとする。)」を回避する言葉である。


私は密かに感動した。現代日本の病である自己責任論や男尊女卑、イキリ文化のすべてを「知らんけどw」の5文字(6文字?)が表している。


Got it. Copy that.どちらも理解 や了承 を表す熟語である。(前者が仕事以外、後者が仕事。)どちらも主語が省略されている。


「知らんけどw」もまた、正確には「『私は』知らない」である。


(なぜ、「知らんけどw」の後に言葉が続かないにもかかわらず、「けど」という「接続詞」を使うのか?その理由は定かではないが、これにもまた、何か責任を透明化する意味合いがあるのだろう。「知らんけどw」←少し調子に乗った。


まあ、最近は、格助詞の使い方が人知を越えていて理解不能だったり、新しい日本語を創造したりと、日本語を「使って」はいるものの、「理解して」はいない人が多いから、特に意味はないのかもしれない。)


これは、この少ない文字数で、「これは私の見解ではない。この見解はあくまでも他人のものであって、私のものではない。だから、私には何も責任はない。」という主張を饒舌に物語っている。


それを、「私」が紹介しているのだから、その時点で「紹介する」という責任はあるが、まあ、彼らは、それに目を向けたくないのだろう。