虚無を見つめる

自殺願望の次は虚しさ*1

私は既に、自殺願望をメタ認知した。だから、自殺する可能性は、限りなく低くなった。次に、空しさ*2がやってきた。


死にたい訳ではない。辛くもない。でも、何かが違う。そして、こう思う。

「何やってんだろうな…自分は…」

『優秀な』日本人

日本の大学生の知識だけは多い。彼ら彼女らは、中学レベルの数学*3なら文系でもできる。彼ら彼女らは、『優秀』だ。

『我』を主張するアメリカ人

アメリカの大学生は、計算が苦手だ。場合によっては、中学レベルの数学ですら解けない。*4しかし、『我』を持っている。日本人なんか、とてもついて行けないレベルの議論をする。

日本とアメリカ、どちらが有利か?

少なくとも、日本人は『優秀』だ。豊富な知識を持ち、それを活用する術を知っている。しかし、それはあくまで『優秀な道具』に過ぎない。その道具を使うのは上だ。


更に、AIの登場によって、それらの道具は不要になる。


どれだけ優れた数学的な能力を持っていても、それを主張し、且つその主張が受け入れられなければ意味がない。その点において、アメリカの大学生は圧倒的に有利だ。*5


仕事は付加価値を生む作業だ。極論、「価値」は必要ない。価値を「付加」すればいい。つまり、でっち上げればいい。その時、議論の技術やロジックは、役に立つだろう。

道具になる?

私は理系志望だ。文系は覚えることが多すぎる。私には無理だろう。しかし理系は抽象度が高い。つまり日常生活に、数学が侵攻してくる。


私はこのまま、誰かに使われる道具になるのか?しかし、理系の人の方が反骨的な印象がある。日本語を使っているのに日本語を理解できない、Twitterに生息する「文系バカ」*6がいる。*7それはなぜだろう?

数学者はロマンチスト

意外かもしれないが、数学者の殆んどはロマンチストである。現代社会の先生の方が、よほど現実的だ。google:数学者 ロマンチスト


しかし私はロマンチストではない。*8無理やりハッピーエンドになるくらいなら、バッドエンドの方が良い。かなり現実的な人間だ。なら私は、どうすればいい?

高校二年生の夏と進路

顧問の教師が言った。「この夏に志望校を決めろ。」私は情報に興味がある。所謂、IT系だ。AIのニューラルネットワークを用いた研究によって、人々を分断するバイアスやそれを強化する要因、解除する方法などを調べたい。


更に、「少数の、マルチなエリートや天才によって、消費が独占される個の時代」ではなく、「万人に開かれた、平等且つ自由な個の時代」*9を導きたい。そうして初めて、人権は回復する。


それには、根本的なパラダイムシフトが必要だ。「本業/副業」という認識から、誰もが複数の職を持つ「複業」という認識へ。*10


しかし、具体的な大学やキャリア選択は全く決まっていない。

地方大学

地方の国公立大学は、倍率が2~3倍のところもあるらしい。今は私立に志望が集中しているから、国公立が狙い目だそう。


また、密な距離も魅力だと言う。部活動の顧問と部員ほどの距離で、学びたいことが学べるのだとか。どうしようか?*11

IQが高いから

成績が低い。期末テストの成績は、中間より悪くて中の中。しかし、提出物の提出率がほぼ0%である教科もあるため、成績は下の中。


現代文は平均より20点ほど良い。古典文法は平均より20点ほど悪い。かなり極端な成績だ。英語は平均点くらい。勉強は授業時間以外にしていない。

日本の考え方

形式的というか、外見的というか、中身がない。中身がない、「形」が重視されるものは何か?祭りである。しかし今日本人は、どこにも神がいないのに祭りを続けている。


赤点が一つでもあると、進学することはできない。つまり、「苦手な教科も全部やれ。」文科省はそう言っているわけだ。「得意な教科を徹底的にやれ。」ではない。


一応、自己責任論が跋扈するこの国のことだ。文科相は「苦手分野を克服することに意味がある。忍耐力がつくから。」みたいなことを言うのだろう。全く無意味な儀式だ。

「勉強」=「辛いこと」?

日本には、そういう認識がある。「勉強に耐えた人が偉い。だから高学歴は偉い。」みたいな。海外、特にフィンランドなどでは、学習は「仕事を見つけるための、いち過程」であると考えられている。


だから、留年も恥ではない。フィンランドは、世界第一位の教育大国である。


それに対して日本では、たまたま他の分野でのIQが高いために、その分野が苦手な人は、ある時点*12で「能力/努力不足」と切り捨てられる。

本題に戻す。

意外かもしれないが、高いIQを持つ人が必ずしも、高い成績を取るわけではない。むしろ、成績は「技術」というか、どれだけ無意味なことに耐えて、テスト対策に勤しんだか、によって決まる気がする。


高校を首席で卒業した人は、別に「頭が良い」のではない。たまたま親の年収が高く、たまたま小器用だったのである。だから高水準の教育を受け、高い点数を取るための技術を習得した。


しかし、高校を首席で卒業した人は、社会で成功し難い。小器用が祟って、何の突出した技能もないから、何もできないのかもしれない。


高IQの人はクリティカルな見方ができるため、起業や立案などにおいて強い。高い創造性も手助けする。しかし私は別に、起業するつもりは無い。

じゃあ、どうする?

それを模索中。私には悪癖がある。本当に重要なことに目を向ける前、どうでもいいことを考える癖だ。*13そのおかげで、こんなに記事が長くなった。本題に入る。

むなしさを見つめる

「何やってんだろうな…」


と感じる時、最悪なのはむなしさを放置することだ。誰にも気付かれないまま、むなしさは肥大化する。うつ病になる可能性もある。


だから、むなしさと向き合う。私には、私がいる。私を私が認識している。

なぜむなしい?

将来への不安が原因?恐らく失敗するであろう大学受験と、成功したとしても課題を右から左へ流すだけの日々。受験中の鬱屈とした生活。海外移住とか… 


私の意識は、「ここ、今」に集中していない。どうやらPNSEが終わったようだ。私がPNSEに入った原因は、メタ認知したこと。つまりバイアスを自認したことによる、バイアスの解除だ。その効果は2週間くらい。


鼻水は出ないし、熱っぽくもない。風邪気味な症状も終わってしまった。

再び、俯瞰する。

全身弛緩法や瞑想などを試してみる。今度は、「やりたいこと」についての考察だ。私は変化し続けている。今の私を、最大限に認識しようと思う。

*1:むなしさ。虚無。

*2:むなしさ。虚空。

*3:文字式の加減乗除など

*4:情報ソースは古い。今は状況が違うかもしれない。

*5:私は、YouTubeの広告に出てくる「Pro/Noob」みたいな二元論、且つ、どちらかが正しい、優れている、といった内容のことを嫌悪する人間だ。しかしこればかりは、対比せざるを得ない。

*6:論理的な思考ができない、感情的な人の総称。右翼ミソジニー、つまり男が殆んど。女の場合、「名誉男性」と呼ばれる。

*7:最近では、老人や学生にも多いらしい。だから、この国に明るい未来は無い。←老害とか、若者の貧困は自己責任とか言いたい訳ではない。国民全体がバカになり続けているということ。

*8:日本人の人権や平等、自由や精神的豊かさ、民主主義が回復する可能性も、億が一未満はあると予想する私は、ロマンチストかもしれない。でも少なくとも私は、自分のことをロマンチストだとは思わない。

*9:インターネットで言うなら、ブロックチェーンのようなもの

*10:名前を忘れたが、誰かが言っていた。

*11:ケムリクサ第7話Bパート後半、りつ姉。

*12:かけ算なら小学二年生

*13:セルフ・ハンディキャップと呼ばれる行為である。テスト前日に部屋を掃除する、あれ。