高IQの口癖
私の口癖
驚いたとき「ダッ」とか、「ギャッ」とか。擬音語が多い。
未だ食べていない料理を「美味しい」*1と言うのがざらにある。
正直言って、私はIQテストがなければ、このIQを信じられない。「私は馬鹿になったのではないか?」と思うことが多い。私が持っていた「頭が良い」人へのステレオタイプと、私の現実とが、あまりにも食い違っているからだ。
「頭が良い」って、本当に良いの?
私は今まで、正直に白状すると、「頭が良ければ、人生は楽なのに」と思うことが多々あった。*2
しかし、今は「頭が良い」人は、実はそんなにメリットが多い訳ではなく、むしろ「注意力散漫」ということの弊害の方が遥かに大きいと考えている。
また、「頭が良い」人と「頭が良いように見える」人は違うかもしれない。今の私に会って話をしても、「IQが高い」と感じるのは専門知識を持つ人くらいだろう。
「多くの人より、少しだけ頭が良い人」は、「多くの人より郡を抜いて頭が良い人」よりも恐らく、頭が良いように見える。
私なんて、主語の省略、目的語の不在なんかが日常だから、実妹に
「(違法薬物を)キめているんじゃないの?」
と言われたことがある。
本当の「頭の良さ」って何だ?
少なくとも、単に「頭が良い」ことではないだろう。それは「頭が良いように見える」ことかもしれない。それは言語的な能力が高いことを意味するのかもしれない。
今になって思うことは、絶対的な「頭の良さ」など存在しないということだ。
IQがあまりにも高ければ、何をするにもやる気が湧かないことがある。退屈はもはや、「苦痛」となるからだ。*3
だから高IQは「努力」において圧倒的に不利である。IQは低いが努力をすることを習慣化した秀才が天才を圧倒するなど、よく聞く話だろう。
永遠のジレンマ
恐らく人は、努力不足な(人の目に映る努力だけをする)人を「努力家」※1、秀才を「天才」※2、天才を「努力不足」※3と呼ぶ。*4
※1この国では仕事を時間内に終え、定時に帰ることができる優秀な人は、無能な上司の妬みか何か知らないが、出世することができない。
仕事を定時で終えることも、家で時間を捻出することもできない無能が上司に頼み事をしたり、「残業」という能力不足を自称するための恥態を見られたりして、なぜか「努力家」と持て囃され、あれよあれよと出世してしまう。
※2那須川天心氏が出演した、「アナザースカイ」での、『この努力を、人は「天才」と呼ぶ。』という言葉が、未だに記憶に焼き付いている。
※3ギフテッドgoogle:ギフテッド 現状
それでも。バイアスを越えて
人間にはバイアスがある。それは長く人間を守り続けてきた。しかしそれは同時に、視野を狭め、認知を歪ませる、強力な呪縛となる。
それは無能を努力家、努力家を天才、天才を努力不足に見せる。俗に言う「偏見」とか「差別意識」とかいうものである。
いつの日にか、全国で、いや全世界で「ファクトフルネス」google:ファクトフルネスが起こり、人々が認知の垣根を越えて、対等に認識し合える世界が来ることを願って。*5