変化に驚いた

私はPNSEに入ったらしく、IQが上がったらしい。


その変化は唐突に現れた。単純な、私の興味がない作業が圧倒的にできなくなった。端的に言えば、集中していないときの注意力散漫の度合いが跳ね上がった。使う自転車は同じなのに、転びそうになることが増えた。


私は前もIQは140くらいあったから、所謂「おっちょこちょい」という生き物だった。前も凄かった。


小学生の頃、ランドセルを忘れて登校した。この言葉の意味がわからないかもしれないが、実話だ。(こんなぶっ飛んだ話、思い付かない。)そのことに、地域の集合場所(私の場合は団地の公園だった)で気付いたのが、不幸中の幸いだった。


小学校高学年?あたりで旅行に行ったとき、川に入った。カヌーの体験ツアー中だった。私は川が興味深く、楽しくて、自分がいる位置に対しての注意力を欠いてしまった。


私は水流に流された。いつの間にか、水深の深い、川底に足が付かないところまで来ていたからだ。私は焦ったが、足掻いても殆んど無力。幼いながらに死を覚悟した。


彼は私を川から救い上げ、そのカヌーに乗せ、悠々と漕いで川岸に着いた。私の命の恩人である彼の、カヌーを漕いでいるときの背中を、今でも覚えている。


とまあ、こんな訳で、注意力が散漫であったときに、注意力が散漫なときにすると危険なことをして危なかったことが幾度となくあった。


しかし、「IQが上がった」ということは、集中していない(興味がないことをしている)ときの注意力が、以前より格段に散漫になることを意味する。


正直、怖い。また注意力散漫のおかげで死にかけるのではないか、と密かに怯えている。そんなとき、以下の事件?があった。


私の母は数日前、大量にラクトアイスを買ってきた。(ステマではないので、その商品名は控える。)


私の妹の主食はラクトアイス類である。と言っても過言ではないほど、彼女はアイスを食べる。


母が買ったアイスは、一個50円だったそうだ。大方、妹のアイス代を抑えるためだろう。


しかし、そのアイスはセール品であるからか、「当たり/外れ」がある。後者は、ぼろぼろである上に、その商品特有の、「バリッ」とした食感もない。


私がその袋を破ってしまったアイスは、私が食べるしかない。そんな訳で私は、袋を開けずに、アイスの当たり/外れを判断する方法を考えた。


それを思いの外早く思い付いた。この経験が、私に「IQが上がって良かった」と思わせた、初めての経験である。


私はアイスを包装している袋を振る。すると、既に外皮?の大部分が剥がれているアイスは、「じゃかじゃか」言う音が大きい。


そのアイスは、外皮の多くが剥がれているからだ。袋と接触するアイスの破片が多ければ、当然、音もまた大きくなる。


つまり、「私がその袋を振ったとき、最も音が小さいアイス」が、当たりである。


(コンビニでやると怒られる?もし、そうなったとしてもこの記事のせいにはしないで、自己責任でお願いします。これは…自己責任論云々の話ではないから。)


こういう、「閃き」があるなら、高IQも捨てたものではないと思えたから、今日は良かった。短期的な(というか、興味がないものについての)記憶力は前よりも下がった。(それも閃きでカバーできると良いな。)


(常識は必ずしも真ならず。「頭が良い」から自動的に、社会的に成功する訳ではない。むしろ事実は逆である。


「ギフテッド 現状」で検索すれば、多くの人から「頭が良い」と言われている人が置かれている状況が、少しはわかると思う。しかし、あの延々続く「退屈」の苦痛は、なってしまった者にしかわからないかもしれない。)