高校二年生の手記

今日は芸術鑑賞会があった。それがきっかけで、今日の記事は特に長い。(まあ、いつも基本的に長ったらしい記事だから、それに慣れている物好きな読者なら、大したことはないかもしれない。)


この記事は、それら複雑な考察とは何ら関係無い、「高校生」個人としての出来事についてだ。


先ず、「Yさん」について。彼女は始業式から少しの間、私の一つ前の席だった。そしてまた、彼女は本当に珍しく、日本人らしくない日本人だった。(この言い回しは、日本人に対して使うときは殆んど良い意味で、だから説明は不要だろう。)


彼女は「よき市民」ではなかった。彼女は、「私は自民党にだけは投票しないと決めている。」と語った。


私は所謂、「ちょろい」奴かもしれない。恋愛経験が乏しい上に、やっと出会った、まともな同年代の人。


それは思慕の念か、友愛の情か、「自民党不支持者」というマイノリティの立場を共にする共同体意識のようなものか、私には判別がつかなかった。少なくとも私が彼女に対して、特別な感情を抱いていたことは確かだ。


しかし、親密な関係になることを望むことはなかった。


いつもの、暇なときの人間観察の癖で、彼女には「Y君」という思い人がいることくらいわかった。彼女と彼は出身中学が同じで、しかも彼女は、彼女が中学生であったときから、彼を好んでいたそうだ。


彼女がいない期間が年齢である私が戦っても、到底勝ち目は無い。


得意の心理学を利用すれば、私が彼女と交際することは叶わずとも、彼女と彼との間に、「相互不信」という決定的な溝を作ることは、やろうと決めれば不可能ではなかった。


しかし中学生の頃から、「良い雰囲気」である二人の仲を、高校二年生のぽっと出の野郎が掻き乱すのは野暮というものだろう。


また、私は別に彼女と親密になりたいから、端的に言えば「having sex したいから」彼女に対して好意を抱いた訳でもない。それなら、只顔と体が良いだけの名誉男性でいい。


2ヶ月ほど前?YさんはY君との交際を初めた。そして私は「お似合いだ。」と二人を祝福した。にもかかわらず今日は…


今日は理性が辛かった。私も高校生である。


今日は芸術鑑賞会があった。私はそれが興味深く、見入っていた。


(海賊についての芸術であるのだが、議論する場面が多く、内容が濃かった。特に、「命令形は、文法は国家(秩序)の誕生と共にでっち上げられた。命令形の無い、「新しい言葉」を作るのは、存外容易かもしれない。」という場面が印象的だった。)


まあ、それまでは、まだ良かった。只面白い芸術鑑賞しているだけだったのだから。それからが問題だ。


芸術鑑賞会が終盤に差し掛かったとき、私の左に気配があった。


芸術鑑賞会の席順は基本的に出席番号順である。私はYさんの一つ後ろの番号であるから、私の左隣には、例のYさんがいた。


(薄々気付いている人もいるかもしれない。私の左隣にはYさん、Yさんの左隣にはY君がいた。)


Yさんはよく寝る。しかも授業中に。今日のことも、予想してはいた。


しかし、倒れるのは彼氏側だと思って油断していた。(地学の、今日と同じ席順で、彼女はいつも右側に倒れるにもかかわらず。希望的観測だった。)


所謂、「ラブ&コメディ」と呼ばれるようなドラマ(日本だけ?)には、必ずと言ってもいいほど、「女性が寝落ち、男性の肩の女性の頭を衝突させる」という演出がある。


これはいい雰囲気(交際予備軍)の二人にとっては、「ドキドキ」だのというような言葉で形容される出来事だろう。


しかし、一度恋路を諦めた相手が、しかもその彼氏の目の前で、寝落ちて私の方に倒れ、彼女の頭を私の肩に衝突させる、あの時間は…


なんかもう、嬉しいんだか複雑な気持ちなんだかよくわからなかったし、心なしか、隣にいる彼氏から攻撃的な視線を感じる気がしなくもないし、「天国と地獄」じゃないけれど、複雑な、奇妙な時間だった。


私が彼女に欲情するとか勃起するとか、彼女を襲うとか、そういうことをしないのは、自信を持って保証できた。私は理性の化け物だ。だからこそ、こんなことになってしまったんだ。


しかし、一応は私も高校生であるから、理性が磨り減って行くのを肌で感じた。


「Yさんを起こそう」という気持ちと、「もう少しだけ、このままでいたい」という気持ちが拮抗した。格闘の末、結局後者が勝った。


(可能な限り体を右に倒すという方法で、直接的な接触は避けた。)


結局、なんだかよくわからなかった経験だったが、この奇妙な出来事が、私の記憶に生涯を通して刻まれるであろうことは、まず間違いない。