ワナゴの辞典 フェミニズム

  1. あなたは気付いていますか?

先ず最初に断っておく。


独裁者がいなかった世界に、「民主主義」という言葉は生まれない。最初から民主主義があるからだ。ブラック企業がいなかった世界に、「労働組合」は存在しない。その必要がないからだ。


つまり、「フェミニズム」がある世界には必然、女性差別がある。それがわからない人は、人権という言葉の意味を調べた方が良い。この記事を読んでも、何も得られないだろうから。

男性学

フェミニズム的知見からなら、これは基本的に、「男性優位への幻想」という言葉で片付けられてしまうものである。


しかし、男による男性学、つまり「メンズリブ」的な考え方も、私にはしっくり来ない。あまりにも、男にとって都合が良いと感じるからだ。

なら、どう考える?

これもまた、女性差別が存在することと同じように、説明することができる。


「男性優位への幻想」は果たして、ホモソーシャル社会における、ヒエラルキーでの競争が要請するところだろうか?


確かに、それもまた大きな要因であると思われる。しかし、男が女を差別するように、女性もまた、男に対してステレオタイプを持っている。

バイアスによる分断

女性は幼い頃からずっと、下らないことで「我先に」と争っている男たちを見てきた。

「我先にと急ぐのが、男の幼稚なところだと思う。」


東野圭吾氏の小説*1にもある。少し俯瞰すれば、その争いは同性から見ても、下らないものである。

バイアスが形成される仕組み

人間の脳は、一千億もの神経細胞ニューロンの固まり。そして、それらが互いに結びついたニューラルネットワークが、人間の高度な知的作業を支えている。


そして、多く刺激を受けるニューラルネットワークは強化され、あまり刺激を受けないネットワークは最適化される。


つまり端的に言えば、幼い頃からずっと男の争いを見続ければ、女性は「男って…*2」と感じ、「男=競争」というステレオタイプが形成されること請け合いである。*3

じゃあ男は何なの?

私は、自己責任論という文化が仕立て上げた、「完璧主義/自己批判*4が原因であると考える。


自己責任論は現代日本において、全体主義的な考え方を前提としている。


自己責任論には、「個人」をそれを主張する主体とした「能動的」なもの*5と、「集団」をそれを主張する主体とした「受動的」なもの*6がある。

この国の自己責任論は

後者である。前者は主体的な競争を促し、社会に好影響を与えることもある。*7しかし後者は、いたずらに個人に失敗することへの恐怖を与える。*8その結果として、個人は挑戦を避け、「失敗しない」よう、死んだように生きる。


これが生み出したものが、「完璧主義/自己批判」である。

それってどういうこと?

完璧主義

完璧主義は言い換えれば、「粗を許さない考え方」である。「粗」を「失敗」と置き換えてもいい。*9


しかしこれはいわば、「消極的完璧主義」である。「絶対に、妥協しない」とかいうような、職人気質の人が「挑戦」する過程での完璧主義ではない。「非完璧忌避主義」と言ってもいい。

自己批判

これは集団の規範意識*10が、個人を深く汚染した結果である。順を追って見て行こう。

ミーム汚染

先ず、その人の周りの人が「死んだら負け」だのと言う。すると、その言葉は、それを聞いた人に「感染」する。


人間は言葉を使ってのみ、考えることができる。つまり、他人の言葉=「他人が考える手段」を記憶したその人は、その言葉の分だけ、他人の考え方に汚染される。

ミーム汚染が深くなる

するといつの間にか、「どんな不利益を被ったとしてもそれは、その決定の主体にのみ責任がある」という考え方は、他人ではなく、その人のものとなってしまう。

自己批判へ…

更に、前述した完璧主義がまた、厄介な存在である。その人は、自分自身の「粗」を探し始める。私が考えるなら、「身長が低い」「頭が大きい」など。


説明が長くなった。これが、自己責任論が劣等感を形成する過程である。

じゃあ、男はどうする?

自己批判、それによる自己否定、更に劣等感…それらに苛まれる男は無意識に、都合の良いあることに気付く。

『この国の男尊女卑を利用すれば良い。』

男はどうなる?

特に、集団の「空気を読む」能力が高い人は、差別に傾倒するだろう。集団が患っている自己責任論という病を全身に浴びて、彼は更に女性蔑視を悪化させて行く。

差別は他にも

この国には、まだまだ都合の良い差別がある。流石は人権においても後進国である日本だ、差別のバラエティーに事欠かない。

年功序列

これ依存する老人は、「最近の若い者は…全く、礼儀が」云々。

生産性差別

これに依存する中年男は、「君は、まだ高校生なんでしょ?/老害が生きているから、改革が進まない。」

生産性差別②

これに依存する層にも、揃いも揃って中年男が多い印象である。②は生産性という概念が登場する前から存在したマイノリティへの差別である。


「LGBTには、生産性がないのです。*11/障害者は、死んでも良い。・出生前診断には賛成」*12

男はどうすれば良い?

ステレオタイプによって、珍しくフェミニズムの見解が誤っていて、自己防衛的な心理によって、メンズリブは生ぬるい。これは難しい問題だ。

私は

メタ認知した。私の16年すべての、印象的な出来事について考えた。そのおかげで私は自殺を遂げることなく、今もなぜか生きている。


認知行動療法、と言うのだろうか。「自己精神分析」?しかしこれをオススメすることはできない。


実は今もそれをしているのだが、かなりしんどい。いつもの自己防衛的な考え方では無意味だからだ。自己を「他者」として、徹底的に客観視する。


「考えたくない」、耳が痛いなんてレベルではないことを、ひたすら考えて、考えて、考えて、考えて、考える。その先にしかメタ認知はない。

でも、オススメはできない

しかし、私がそんなことをしたのは金がないからだ。自己精神分析は、自分で「抑圧した過去」を考察する作業である。


つまり端的に言えば、「もう二度と思い出したくない」から忘れたものを、再び掘り起こす作業である。


当然、長い年月を経たために、その「過去」には自己防衛的な考えがまとわりついている。それを一つ一つ剥がして行く作業は、この地球上で1、2を争う苦痛だと思う。


私も、何度も自殺しようとしながら、ようやくここまでたどり着いた。何か一つでも違えば、私は自ら命を絶っていたかもしれない。*13

できれば、あなたは

セラピーに通うことをオススメする。田房永子氏の「キレる私をやめたい」に登場した、『ゲシュタルトセラピー』が良さそう。行ったことはないけれど。

最後に

この日本、いや世界の人々が、あらゆる属性、あらゆるバイアスを越えて、互いを対等な人間であると認識し、分断が崩壊し、再び自立した個人が緩くつながる、そんな社会を願って、この記事を締めたいと思います。


こんな長い文をここまで読んだ物好きさんたちが、何か一つでも、気付いてくれたら幸いです。

*1:『少女』?

*2:何でこんな下らないことで争うの?

*3:脳とバイアスについてかなりざっくり、端的に説明したので、ちゃんと勉強したい人は参考にしないでください。

*4:メンタリストDaiGo氏の言葉を借りています。

*5:「私は、何をすることだってできる!」『達成可能』という幻想を信仰することによって、個人は希望を見る。

*6:「どんな不利益なことの責任も、私達は負わない。すべてお前のせいだ。」言うなれば、『無達成不可能』という不条理を感じさせられることによって、個人は絶望を見る。

*7:しかし競争がある限りにおいて、平等は存在しない。

*8:あなたは、何かに挑戦して失敗したら「お前のせいだ」と言われ、「失敗した」ことの責任ばかりが取り沙汰され、「挑戦した」ことが歯牙にもかけられず忘れられる社会で、何かに挑戦したいと思えるだろうか?

*9:挑戦を避け、失敗を恐れる。

*10:所謂、「超自我

*11:過ぎだすいみゃくという女性は名誉男性であるから、中年男に数えて差し支えないだろう。

*12:ここにあるのはあくまで、マイノリティを差別する人の、紋切り型の常套句である。本当に、差別主義者は面白いほどに、似たようなことしか言わない。いや、「言えない」?少なくとも私は、(無意識下ではわからないが、)意識下ではこんなことを考えたことはない。

*13:逆に言えば、自己精神分析をしなかったとしても、それほど追い詰められていたのかもしれない。